Etre en deuil, sous le ciel de Paris.

メトロの改札をぬけて電車に乗り込む。
この日はパリ全域の交通機関が切符無しで解放されている。
そう、レピュブリックからナションに向けて歩く人々のためだ。


というのはあとで知ったのだが、ホームや車内は静かでただならぬ雰囲気だった。
みんな何か同じ目的でその場にいるような、緊迫したような、怖くて重たい空気を感じた、私だけだろうか。



パリの街は喪に服している。


すべては7日に起きた事件からである。
私としては、まだ事件背景を深く理解していないので、自ら何かに参加するという事はしない。
それに、集団の中にまぎれて、同じものの中に入っていく事になじみがない。
ただ、ここにいて感じる事は、フランス人は個人の主張を外側に打ち明ける行為がものすごく自然であるという事。
みんながはっきり言葉にしていう。


その言葉を内側に閉まっておく事が自然である日本人の私には、私個人には、
それらの外に吐き出された言葉や行動に驚きを感じる。


そして、フランス人同士の結びつきが強まる事で、私はフランス国内にいながら外にいる感覚がする。
その深い傷はフランスの人にしか感じられない場所にあるのかもしれない。


今日はまったく違う目的でパリ中心にでたら、まさに大勢で歩く人々と同じ道に出た。
みんな同じ方向にただただ静かに歩いている。
時折始まる拍手が拍手を呼び、道中が静かな拍手でいっぱいになる。
自分がまさに渦中にいるような気がした、街が喪に服している。



事件が起きたCharlie Hebdoの新聞社。
これまでその存在も知らなかったけれど、聞けばその看板である風刺画は時折かなり過激なもののようだ。
これまで風刺画を嫌う気持ちはこれまで持った事はない。


ただ、表現の自由と、風刺画の掲載内容の自由の度合いを同時に考える時、
どこまでが表現者に許される方法なのかは議論があっていいと思った。
だから今日まで、フランス人がみんな新聞社の名前を掲げる事に違和感があった。


でも、そうでない事が今日少し分かった。
フランス人の友達に、あの新聞がフランス人にとってどういう存在なのか、
なぜ「私はシャルリ」をみんながかかげるのかを、聞いたから。


フランス人たちもみんながあの新聞を賞賛するのではない、表現も度を過ぎたものはいいとは思えない。
ただ、みんなが悲しいのは、描かれた表現を、武力によって否定された事。
紙の上のメッセージが、命を奪って返された事。
そして、そうされた事によって、フランス人として、フランス全部が否定されたような、悲しみや傷を負った事。
その象徴としての、「わたしはシャルリ」。
革命以来の大切な自由を、守られるべき表現の自由を願っての、「わたしはシャルリ」。
これだって一つの見方な訳だけれど、私は賛成する。


この緊迫した街中を歩いて、
待ち合わせを、外で銃撃があったからキャンセルするという異例の状況に遭遇して、
私は3月11日の東日本大震災の事について、考えずにはいられない。


あの時の本当の混乱や緊迫は、私は全部知らないんだって思い知らされた。
どんなにニュースを見ても、そこが自分の国でも、その時の緊迫感を肌で感じなかったんだって、今更知った。
日本人でありながら、あの大変な事態を共有できない、していない事に、今になって穴があいたみたいに感じた。
だからといって、後悔できるようなそういう事ではないのだけれど、何か遠いところに来てしまっているような感じがする。


そう思わせられるくらい、今日のパリは緊迫感があった。



ふと、いろいろ考えちゃったけれど、
明日は確実に来るし、その明日する事はごくありふれた日常的な事で、
まだまだ自分のことでいっぱいいっぱいな私がいる。
頑張らなくちゃといいきかせる。






写真は霧のヴェルサイユ、
吸い込まれそうな、のみこまれそうなわたし。




頑張ることはできる。
でも頑張り続ける事は結構むずかしいな。