La nuit.

夜の演劇、夜の巴里。


木曜日の夜、お家のムッシューと一緒に街のちいさな劇場に現代演劇を鑑賞しに行ってきました。
夕暮れの湿気の重たい中、自転車で30分とばしました。


フランスではじめて映画ではない生の演劇なのですが、かなりモダンだった。



プロローグでの”講演までの運び”の解説が、
途中でバックのチェロのリズムに合わせ高速になり、言葉の意味を失い、
他では指先から伸びた10本のチョークで顔の絵を描いたり、それを消したりしている。


ずしんとした心拍音の暗いスポットライトの中で、4人の出演者は、
洞窟なのか、あるいは戦争なのか、対面している負のものに立ち向かって行く。


パソコンのチャットのやり取りは非常に憂鬱化し、一方的な情報社会に混乱する。
また、ピクニックにて女は上着を脱ぎ捨て、それを男は女の意志に反してハンガーを必要に要求する。
ハンガーはやがてクライアントとの交渉を成立させ、あるときはダンスの表現の一部になる。


乳母車で赤ん坊をあやせば発光する衣服と化し、小さなメリーゴーランドはやがて戦場になり、
人の顔は4つに別れてバラバラに行動する。



おもしろかった。でもむずかしくもあった。






そして、翌日早朝パリへ。


今年はじめてのパリ。
いつもあれこれウキウキするんだけれど、同時にいつもドキドキする。だってこわいから。
パリはいつだって慌ただしくて、どんな時も自分が外にいる気がする。
人種なのか、人生なのか、夢なのか、
好きだけれど、なかなかとけ込めないのがパリなんだよな。


そこで、もうこわいことなしで声が枯れるまでフランス語でしゃべった。
まわりの音量に混ざってしまわないように大声で、リズムと雰囲気を大切に。


アンジェに戻ったとき、自分の顔の緊張が一気に緩むのがわかる。
もしこれからパリに行くのなら、もっとつよくなりたい。



必要な自信は次の自信をもつために必要なのです。
フランスに来たその中身の部分、まだ何もはじまってない。
でも今すこしはじまってきた。


どうなるかな。どうにでもなる。どうにでもする。